新しいことを始めるということ

新しいことを始めようとすると、それまでにない負荷が自分にかかります。ときには脳に、ときには身体に。
その負荷を感じるのと並行して、「この新しいことは自分にとって、本当にやるべきことなのかどうか」という問いが自分に投げ込まれ、そのことを継続するのか撤退するのかという決断を迫られます。

なにか新しいことを始めるということは、その分何かを行う時間がなくなるということを意味しています。今取り組んでいる何かをやめてまで、その新しいことをやるべきなのかどうか、その負荷は自分にとって必要な負荷なのか、深く考えて結論を出さねばなりません。
しかし、多くの人は、そんなことを考えることもせずに、単に新しいことを始めるときの新しい負荷に対して拒絶反応を起こし、新しいなにかに挑戦することから逃げてしまいます。

「今やっていることで十分でしょ。新しいことにはリスクもあるし、面倒だし」と。

もちろん、なんでもかんでも新しいことに取り組めばいいわけではありません。
目につくものや紹介されたものを手当たりしだいに始めてしまったら、自分にとって重要なものや優先度の高いものが、手元からどんどんこぼれ落ちていってしまいますから、「とにかく新しいことには積極的に挑戦すべき」なんて、そんな安易なアドバイスを、私は絶対に行いません。

しかし、その新しいことの中で、多少の負荷や障害があってもまずは根気強くやってみることを私が強く推奨することがあります。私自身も、そういうことに出会えば、まずは心身に対する負荷が大きくても、一度軌道に乗せるところまではやってみることにしています。

それはどういうことかというと、「料理人にとっての包丁を研ぐ」ようなこと。
「木こりにとって斧を磨く」ようなこと。

笑えない笑い話があります

ある木こりが、伐採しなければならない木が無数にあって忙しくて忙しくてたまらない状況がありました。来る日も来る日も休まずに木を切り続ける木こりに対して、それを客観的に見ていたある人が言いました。

「木こりさん、忙しいのは分かりますが、その刃こぼれした斧を使うよりも、斧を磨いて刃こぼれを直したほうが、もっと速く木が切れるのではないですか?」と。

しかし、木こりはこう答えました。

「そんなことはわかっている。しかし、忙しくて斧を磨いている暇なんてないんだよ!」と。

みなさんは、こんなバカな話はないと思うかもしれません。
しかし、経営者をはじめ、知識労働をしている方の多くは、この木こりを笑えないのではないかと思うのです。

知識労働・ナレッジワークに勤しむ経営者のみなさんは、自分の脳が日々磨き続けられていて、最高の切れ味を維持できていると自信を持って言えるのでしょうか?
脳を磨く手段は、いくらでもあります。しかし、「今は忙しくて、そんなことを考える暇もない」なんて、ほんの僅かでも思っているとしたら、前出の「木こり」と同じ穴のムジナであることを認めざるをえません。

あらゆる仕事をする人に対して普遍的なことでしょう。私たちは、「料理人にとっての包丁」を磨くようなことに対して、時間もコストも惜しまないようにしなければならないだけでなく、脳の負荷も、あらゆる障害も受け入れていかねばならないのです。

そもそも、忙しくて忙しくて暇がないのは、そこに主原因があると考えてみてはいかがでしょうか。
ナレッジワーカーが生産性を高めるために、必要なことはもう分かりましたよね?